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私はすべてを所有していると同時に何も持っていない

ありがとう  JUGEMテーマ:スピリチュアル
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先日、スーパーバイザーさんからセッションを
受けたのですが、
その前の日の帰り道、
表題の内容がずっと言葉として心の中に浮かんで
きていたんです。

いわば直感的なものに近いのかもしれません。

不思議に思いますよね?

【すべてを持っているのに何も持っていない】なんて。

ただ、
これは世界が揺れて見えるくらいに、
核心をついていると感じました。
(あくまでも、たとえです↑)
 ゜☆゜+.☆゜+.

この本質に気が付いたのは翌日のスーパーバイザー
さんからのご質問です。

あるワークを構築したいと考えているのですが、
この内容は、自分が生まれてきてから経験し、
そして自らの答えにまだたどり着いていない内容でも
あります。

その際に頂戴したご質問はというと、
(私が作りたいと考えている)
【そこから得られるギフトは何だと思いますか?】

すべての事物には二面性がありますから、
【失っているように見えて実は失っていないこと】
といった答えをしたように記憶しています。

で、その時に気が付いたのです。

前日から心の中にひっかかっていた
【すべてをもっていて、
実際にはすべてをもっていないということ】に。


その後、私たちの体も含めて3次元的なものはすべて
借り物であり、いずれやがてお返しするときがくる、
といったことをご説明くださったのですが、
【頭で理解したつもりになっているのと、
体験してみるのとでは全く違う】んです。


これは、
所有と非所有というよりは存在と無に近い内容かも
知れません。

非存在の経験はしていないので、今のところ、
わかりませんが、
すべての経験こそがギフトであるということに
他なりません。


最初からすべてが借りものならば、
世界もまた自分の世界【観】でしかありません。

その世界が、あなたにとって優しくないのであれば、
自分でかけてしまった色眼鏡を外した時、
より美しいご自身なりの世界が見えてくることでしょう。

そんなお手伝いができたらなあ、と決意を、
新たにした日でもありました。

その数日後に別のブログで書いた方とのお話ですから、
人生とは面白いものですnull
 ゜☆゜+.☆゜+

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貧困の循環について 〜私と福祉と癒し〜

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一年前に書いた記事を思い返して感じることが
あったので、
今度、再度掲載します。

と言いますのも、アメブロを1年やってみて、
少し、影響を受けすぎたので一度、
こちらでは思考を
リセットしつつ気が向いたら記事をあげていきます。
 ゜☆゜+.☆゜+.

それはさておき、
久しぶりに【癒しと私の関係】について書きます。

と言いますのも、どうしてスピリチュアルをご提供
するようになったのか?といったご質問を頂戴した
ので、埋没した記事を掘り起こしたからなんです。

よくある、黒歴史の羅列ですが、
こちらはそのうちインデックスにして別記事でまとめます。
*,.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*

で、表題の貧困/暴力の循環ですね。

もともと、私は福祉・心理系の道を目指してました。

それは、
多感な時期にどちらかというと多様性がある
環境に身を置いていたことが理由だったかも知れません。

水〇修先生の著作物ではないのですが
それを地で行く公立学校に通ってもいたので、
学校の雰囲気も良くなかったというのもあるでしょう。

とはいえ、
10代ではどうにもならないことも多いです。

いじめによる自死、
親から家を追い出されて行くところがない、
家庭内暴力や非行、売春・・・。

そういった事柄に自分の友人が関わっていくのは
当時の進路を決めるなんらかの信念のようなものに
なりました。

さて。
人生に起きることは自己責任だと言います。

実際にその通りではあるのですが、
それを未成年に当てはめるのは酷だと私は考えて
います。

魂が決めてきた、
生まれ変わり、
前世、因縁・・・
それらが関係してきたとしても、
未成年の人たちからすれば問題解決の方が先ですし、
信じない方にとっては何の役にも立ちません

仮に自分で決めてきたとしても、です。


表題の循環の内容は社会福祉の現場で
使われることがある表現です。

未成年/複雑なご家庭の方が何かを成し遂げたり、
何かで道を外してしまった方がもとに戻りたいと
思っても、それを一人の力で成し遂げることが難しい。

誰かの協力が不可欠です。

もし、足を引っ張る強い人達がいて、
その人たちが、もし、ご家族やお身内であったなら。
複雑な環境で自分だけではどうにもならない状況に
一人残されているのなら。

自分以外の要因で創られた環境や背景が循環されて
しまうことがとても多い。
☆すべてのケースに当てはまるわけではありません。

少し前に上野千鶴子さんが、
学校に入ることができたのは一人の力ではない、
といったことを祝辞として述べた時に、
賛否両論の意見が上がりましたが、
おかれた環境から抜け出ること、
環境の影響を受けないこと、
さらには環境から足を引っ張られないこと。

お人によっては大変困難なこともあるでしょう。
多感な時期の学びの環境などは家庭または周囲の
影響を受けますし、
ご体調、その他にも左右されます。


ではどうすれば良いのか。
・・・強くなるしかないんです。


誰も助けてくれないなら、
自分で自分を救済するしかありません。

行政にはたくさんの制度が存在しています。

給付系はあまり大々的に宣伝されていませんが、
利用することができる制度があれば利用し、
必要があれば、その環境から抜け出る。

そのために、できる力を振り絞るしかないの
かなって。

何度でも挑戦し、繰り返して、絶望し、
それでも這い上がることができなかった方の
思いを背負って、登っていく。

コロナ禍でとてもお辛い、苦しい、ご不安だ、
といったご連絡を頂戴することがあります。

けれども、
自分の気持ち次第ですべて変えることができるんです。

あなたが未成年だったり、ご病気等でないのであれば、
自分の力でその循環や連鎖を断ち切ることもできるのです。

・・・表題で循環と書きました
昔関わったことがある場ではどうしたらその循環を
断ち切ることができるのか。
いつもその専門の方は考えていたように記憶しています。

もちろん、自力で100%とは言いません。
置かれたご状況、その他によっても違うから。

くわえて、とても勇気が必要で、
場合によってはお辛い決断になることも多いです。

それでも、そこになんらかの希望が存在していること。
どうぞ、そのことを忘れないでくださいね。


私が癒しをご提供している理由には
関わっている方が自分で歩んでいく姿を見せていただく
ことの喜び、というのがある気がします。

本記事を書きながら、若い頃、救済されなかった
友人たちの顔を脳裏によぎらせながら、
そんなことを思いました。
相変わらず自己満足的な記事ではあるのですが、
関わった理由を知りたい方のご参考になれば、と
思います(過去記事も見てね)
 ゜☆゜+.☆゜+

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スピリチュアルに感じていた違和感の正体

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ここ数年、私は癒しやスピリチュアル的な業界に対して
得体のしれない違和感を感じていました。
不安とか恐れとかではなく、違和感としか言いようがない
ものです。

それは当HPの利用規定等をご覧いただくと、
垣間見えるかもしれません。

非常に細かく記載していたりするのですが、
そう書かないとご納得いただけないことが多いからです。

端的に書けば、当HPではご対応不可/嫌だからやめてほしい。
あるいは、ご満足をいただくことができない可能性がある、
それだけで済んでしまうのですが、このように書いても
まったく効果がありません。それは当たり前のことで、
理由なくやめてね、と書かれても不親切に過ぎますから。

いろいろな方がいらっしゃるのも事実ではありますし、
創始者さんが禁止しているようなことや、
その他、予想の斜め上をいかれる方もおられます。

そんなこんなで長くなっていったのですが、
これは一例であって、違和感の正体はつかめないままで
いました。

けれども、お世話になっているスーパーバイザーさんから
祝ご卒業のお話を頂戴した頃くらいから、
この得体のしれない違和感の正体が見えた気がします。

それは何かというと、【ごった煮】。
スピリチュアルor癒しという「鍋」にいろいろな具
(メソッド)が入っている状態が今のこの業界の状況
なのかなって。

調理人が施術者なら、召し上がるのは受け手の方です。
受け取ったものをどのように咀嚼するかは施術者の手には
及ばないことでもあるから。

その具によって、
美味しいこともあればそうでないこともある、という
感じでしょうか。
具が良くなければ調理人の方も調理できませんから
具材は良いものに越したことはありません。

そう。
定義が無いがゆえになんでもありというか。

誤解しないでいただきたいのですが、それを正す!とか
間違っている!とか言いたいわけではなくて、
【ごった煮】であるからこそさまざまな選択肢が生まれて
きます。

そんなこんなで違和感に対して出た結論。
私が翻訳をさせていただいているようなアチューメントは
軽い癒しやエネルギーの流れを変えるツールでもあり、
受け手の方によっていかようにも味付けが可能です。
見えない世界の入り口になることもあれば、
お人によっては娯楽的要素もまた含むこともあるでしょう。

半面、より深い癒しが必要な方にはそれに見合った癒しが
必要だということ。
※これはアチューメントの種類や受け手の方の向き合い方に
よって異なりますのですべてがそうであるという意味では
ありません。素晴らしいエネルギーも多々存在しています。


なによりも、違和感の核にあったのは、
アチューメント自体が【癒しから情報商材】へと姿を
変えつつあることでしょうか。

本来、私たちは自らの中に変化も癒しも行うだけの力が
あるのです。

アチューメントは簡単にマスターになり伝授できます。

だからこそ、ごった煮の鍋の中で
ご縁があって当HPを見つけてくださった方には
【情報商材】として扱うのではなく、
セルフケアや自他への一助となるように
自分なりの誠実さと共に向き合いたいなあと思います。
※情報商材等々を批判等しているわけではなく、
当HPとは考え方が異なるというだけです。
受け手の方が真の意味でHappyになるのであれば、
それもまたひとつのあり方です。
配布物によって簡単に資格を得ることができる方法で
ご提供している以上、偉そうなことは言えませんし
そのつもりも毛頭ありません。


それと同時に、今後は、アチューメント以外に
癒しをなさる方に対して必要な何かをご提供していくことに
なるのだろうなあと考え始めています。

自己満足的な記事ですが多分に自戒の意味も込めつつ
書いてみました。


似たような違和感や難しさをお感じの方っていらっしゃる
のではないでしょうか。
スピリチュアルでお仕事をお考えの方は
智子さんのお話会で考えてみるのもおすすめです。

 ゜☆゜+.☆゜+.
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病気が教えてくれること:癒しと私

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どうして「私が癒し」をご提供しているのか、についての
お話の続きです。
今回は黒歴史系なので、お嫌な方はスルーを。

前回の記事ではアクシデント的な私の感性について
言及してみました。
その前の記事では、
たくさんの方のお力添えで生きることのありがたみを
知ったこと、
どうにもならないときでも立ち上がることができる経験を
しているので、その叡知を使いたいといったことを
書きました。

大した経験をしているわけではないからこそ言えるのかも
しれませんが、逆境を栄養分に変えてのし上がっていく力
(不屈の精神力と強靭な根性)には大変自信があります
ラベリングとレッテルは剥がすためにある

修行僧のような人生は勘弁ですが、この精神力というか
へこたれない気力は生きていくのにあると便利です。
当たって砕けても、次に当たっていく力のようなもの。

で、本題です。
表題の内容は病気が教えてくれること、です。

過去の話ですが家族をある病気で見送っています。
私も自己免疫疾患を患い、なぜか治った経験があります。
いつ再発するかはわかりませんが、10年以上再発して
いませんのと、
再発する気もしないので、おそらくしないでしょう。
が、家族が自己免疫系のかつ昔見送った病気に罹患しました。

さすがに同じ系統の病気で三度目なので、
この事象は何を伝えたいのかなあと観察していました。

というのも大事な友人の信頼している方がご病気になって
以来、いろいろと変わった、
とおっしゃっているそうなのですが
不思議なくらい気づきがなかったんです。

お人によっては病気の経験をきっかけにしてお目覚めになったり
それが転機になって能力が開いた、といったご経験をなさって
いることがあるのですが、
こと自分の体に関していうのであれば、
【癒しをご提供する前】のお話とはいえ、
病気からのギフトや学びを受け取りきれていなかったので
繰り返されたように見えます。

1回目は見送り、介護と喪失、障がいを持つようになった
家族と共に生きるかけがえのない時間そのものがギフトでしたが、
2回目は気がついたら治っていたこともあり、
学びというよりは人の愛に驚かされました。

で、3回目。
この病気が家族に出たので何を受け取ればいいのだろう、と。
愛なのか、それとも、自由なのか、自分を大切にということ
なのか。

どうしたものかという時にスーパーバイザーさんから頂戴した
メールを見し、覚悟が決まりました。

覚悟が決まると、「気づき」もどんどん起きていきます。

その内容をまとめると、いくつかの問題、そして愛に帰結します。

いくつかの問題についてはそれが嫌だったので
物理的な距離をとる、という方法で、
今まで逃げていたのですが、
どっこい宇宙はそれを許してはくれなかったのです。

なので、開き直って決着をつけることにしました。
3度目ですから、いい加減、終止符を打ちなさいと天が教えて
くれたのかもしれません。

しかも、よほど必要だったようであちこちからダメ押しの
ような言葉をいただきます。
早く気づけ、早く気づけ、と言わんばかりに急かされるのです。

あちゃー、こりゃ早々に手を打たないとまずい(心の声)。

そんな過程を経て、
この病の過程で、私に求められているものを分析してみると、
いろいろと腑に落ちることがあること、あること。

というわけで、三回までの学びがあるのだとしたら、
「本人が自分の人生を取り戻していくことができるように、
一歩下がって、見守ること」ではないかなと推測しています。
そして、関わる人が犠牲にならないこと。

誰に対しても言えることですが、どうしたら癒されるかの
答えがわかっても、
その道を他者が教えては意味がないので、
自らの道を歩むことができるよう、手を出さずにただ信じる。

病気がここまで至ったのは本人が選んだ道でもあるのですが、
3回目のできごとは宇宙からの愛とも言えます。
あくまでも個人的なお話としてご覧いただきたいのですが、
そうまでして受け取りたい何かが私にはあり、
病気にならなければ気がつかない何かが家族にはあった。

それと向き合い、受け入れていくのは大変に辛いことでは
あるのですが、
もちろん、寿命ということもまた無視はできません。

究極的に言うなら
「良くなって欲しい。治って欲しい」
というのもエゴの声でもあるので、信じて見守る感じです。
※ご状況によりますのであくまでもこれは私の場合です
/癒しをご提供している方のスタンスとして必要な観点だとは
思いますが、ケースバイケースであり、本記事の関係性は
当HPとその家族です。


少しお話が変わるのですが、
私の場合、家族を養うことを10代の時に決めました。
でも、数年前からそれは違うと感じていて、距離をとって
いたのです。

3度目の家族の病気はそれがトリガーとなったのかもしれません。
本人は依存したい/こちらはさせたくない。
完全にそれを断ち切れなかったのは自らの中の甘えと罪悪感に
他なりません。

でも考えてみたら罪悪感なんて持つ必要ないんです。
人生を創造するのは本人にしかできないことだから。

なんにせよ、繰り返される以上、
自他との区切り線をがっつり引くことを前提として、
余すことなく命がけの贈り物をきっちりと受け取っていくのが、
3度目の病気における取り組みなのでしょう。

このお話は、他の部分に通じる面が少なからずあるのですが、
癒しやスピリチュアル的な分野に限るのであれば、
倫理やありようについて、非常にかかわってきます
なぜなら一部を除き、施術者の指針となるガイドラインは
存在しませんし、医療従事者のように法的な規制もありません。

薬機法、医事法、あはき法、景表法、民法、その他の知識は
あればプラスになりますが無くても開業可能です。
結果として個々人に委ねられています。

たとえば、
・お体に触れることの是非
・干渉する頻度や程度
・共依存
・クライアントの方にとって何が必要か
・ご提供内容のご説明方法
・施術者への依存の度合い
・できることとそうでないことの判断
・投影
・どこまで関わらせていただくのか
・自らのコンディションが与える影響
などはまさに施術者次第です。

これらの内容は上述のように施術者の内面が
クライアントさんに反映されてしまうこともあり得るのですが、
厚生や犯罪の現場になってくると基本的に甘えは通用しません。
もちろん、現場にもよりますが、
むしろ手痛いしっぺ返しを食らうことになります。

自分の中には一線のようなものがあって
それを最終的なよりどころとして今まで関わってきたのですが、
手段と目的が逆になっている状況を助長しているのに過ぎない
のかな、と思うことがあります。

とはいえ、その一線があったので、ご利用してくださる方も
また、いらっしゃるのかもしれません。

それと同時に、
当HPを情報商材とするための仕入れ先、
あるいは模倣の対象としてしか見ていらっしゃらない方も
一定数いらっしゃいます。
これはお仕事でご提供なさることがNGだという意味では
ありません。
ご利用に際してご遠慮いただいている内容は利用規定、
その他の記事等に明記していますので、
お守りいただけるのであればなんの支障もないからです。


冷たいようですが、
すべては受け手の方がお決めになることであり、
受け手の方次第で私の反応もまた変わるのです。

だって、求められていないものをご提供するのは過干渉に
なってしまうから。

それでも、より一層、ここについては、自戒の上、
十分に自らの癒しと境界線の意識を強めていく必要性を
感じています。
10年前にはなかった現象が起きているのも時代の流れ
なのでしょう。

上述の内容は少し前のお話ではあるのですが、
年度明けよりご感想内容についてお代を頂戴することも含めて、
そういう時期に来たのかなということなのかもしれませんね。

お話を戻しますが、
何かの体験から必要なことを得たら繰り返されるパターンは、
終わりを迎えることが多いです。

今回の場合、自分の病気ではありませんから、
病気を経験して変わった、とご報告できることになるかは
わかりませんが、
このできごとによる恩恵を表面的な部分だけではなく、
奥深い心の底からしっかりと受け取ることができたら、
おそらく私や家族、関わってくれた方の世界もまた大きく
変わるのだと、それだけは確信しています。

目下、絶賛、自己整理中ではあるのですが、
経済的に自立しているよん、とご自覚のある方が
ご両親のご病気などの変化に向き合うことが少なからずあると
当HPをご利用なさる方から耳にしています。

ご覧になっているほとんどの方には本記事の内容は
当てはまらないかもしれませんし、
2つのトピックを入れたのでまとまりのない内容になりましたが、
【お人によって】は、ご参考になるかなと深慮し、つらつらと
書いてみました。

長くなりましたのでまとめにて〆
【望ましくないとお感じになることの中にも、
必ず別の何かが存在し、そこに気がつき、受け容れる覚悟を
決めて行動した時、多くの場合、
状況、または自身から光を見いだすことができる】。

・・・誤解なく、言葉通りに届くと良いのですが。

ラベリングやレッテルは剥がすためにある:癒しと私

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どうして「私が癒し」をご提供しているのか、についての
お話の続きです。
前回の記事ではアクシデント的な私の感性について
言及してみました。
その前の記事では、
たくさんの方のお力添えで生きることのありがたみを
知ったこと、
どうにもならないときでも立ち上がることができる経験を
しているので、その叡知を使いたいといったことを
書きました。

こういう記事は黒歴史?と言ったりもしますから、
ご関心ない方は軽やかにスルーなさってくださいね。

必要がある方に届いてくれたらいいなあと思うので。

で。今回は表題について書いてみます。
ラベリング理論とは、もともとは社会的な行動を逸脱する
ことにより、
社会や周囲から張られるレッテルのようなものを指します

犯罪心理学の一種の理論であり、それによって更生に支障を
きたすことがあることが問題になっています。
〜この人(前科のある方)は○○に違いない、
〜という行動をしたから××だ、
といったような本人の属性に関係なく該当の人を
他者が評価する社会的な背景です。

実際、ある有名な宗教の教祖の家族が隣に住むことに
なったらどうでしょう?
これは一例ですが、そういう趣旨の内容です。

ラベリングとはそれますが、こういったレッテルは、
時にいろいろな立場の方に向くことがあります
たとえば、社会的な弱者
ご高齢の方
ご病気の方、
若い女性、というように。

実際、視覚化している障害をお持ちの場合、
疎まれることもあるように感じます。

私の家族は車椅子を使用していましたので、なるべく
邪魔者扱いをされないようにしていましたが、
それでも、「車いすの分際で〜的」な感じで疎まれることは
ありました(口に出されたこともあれば、態度で示された
こともあります→満員電車には乗れませんし、
舌打ちされたり、というように)

ただね。
どんな人でもいつ、そのようになるかはわかりません。
そのための心配をする必要はありませんが、
どんなに今が健康でもいつ、どうなるかなんて補償は
ありません。

だからこそ、ラベルを貼られたらそれを剥がしていく
強さを持っていってほしいなあと思います。

私の場合、家族の病気の件については
剥がすことはできませんでしたから、あまりにも悪質な方に
ついては、本人にどうしたいか確認の上、望む対応をとり
ました。

ラベリングというと少し方向性がずれてきますから
レッテル貼りの方でお話を続けます。
人生も30年以上生きるとそれなりのレッテルって張られる
のではないでしょうか。

××ハラスメント、なんていうものもありますが、
それに限らず、望ましくないレッテルを貼られたり、
イメージを持たれ阻害されたりという感じです
これらの場合、
実力で剥がしていくか、それ以外の方法で取り去っていく。

【結果を出すことが可能なら結果を出す】と収まることも
多いのですが、必ずしも結果を出すことができるとは限り
ません。
そもそも、当事者に非が無い趣旨の内容もありますし。

以上より、
【お相手の価値観を尊重しつつも自分の価値観を優先】
【お相手が???な可能性がある時はお気になさらない】
【どうにもならない時には独りで抱え込まない】
のが望ましい気がします。

貼られたラベルはやり返す、のでもなく、
それによって落ち込む必要があるのでもなく、
原動力に変えて、引きはがすか、お気になさらない・・・。

だって、お相手はどのくらい自らのことを知っているのか
わかりませんし、そもそも、お相手に言い分があるとは
限らないのですから。

癒しとは全然関係がない記事ではありますが、
癒しをご提供するのに際して剥がしてきた経験は活かして
いくことができたらいいなあ、と思います。
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